JUGEMテーマ:社会問題
保阪正康氏が同志社で講演するというので、同志社今出川キャンパスへ。保阪氏自身も同志社の出身で、家庭がキリスト教であったという。自身はクリスチャンにはならなかったようだが。今回のタイトルは「天皇家と同志社」ということで、キリスト教主義の同志社と天皇家をどう議論するのかと興味が持たれた。いくつかの軸で話があった。1)天皇家に関わる新島八重。大正天皇の皇后、貞明皇后は長男(昭和天皇)には薩摩出身の嫁を、次男の秩父宮には会津から、三男には徳川から嫁をもらっているが、このあたりのきっかけとして、貞明皇后がキリシタンの女子教育をしている学校を見たいということで、同志社を訪れ、新島八重と面談している。一時間ぐらい内容は伝わっていないが、保坂氏は会津の立場を訴えたのではないかと考えている。ちなみに大正天皇は漢詩をよく作り、インテリで、繊細な神経の持ち主のために天皇の任を続けることができなくなった、と保阪氏は考えているようだ。2)徳富蘇峰と天皇。徳富蘇峰は新島襄の信頼を受け、同志社の方向に大きな影響を与えた人物出るが、戦争の過程で国策を指示する傾向があり、終戦後戦犯の候補であった。これを防いだのは同じ同志社の出身の深井英五(新島から奨学金を受ける。日銀総裁などを歴任)の努力があった。同じ同志社出身で原田健駐バチカン公使はバチカンの和平仲介の意向を伝えたが外務省が無視していた。天皇が後に大使にしておけばと言ったという。3)半藤一利さんと一緒に雑談に来てくださいと言われ、何度か話した。平成天皇は自分の名前(天皇)で多くの人が死んだことを深く受け止めている。天皇制というものは何もしなければなくなってしまうものであると思う(保阪)ので、昭和天皇は戦争をし、平成天皇は祈り、令和はどうしていくのか。われわれは天皇制を監視していく必要がある。新島襄は社会人になってから大した人物だったと思うようになった。人を作った。彼らの原点は新島の「市民たれ」という思想であり、新島を自分で抱え込んでいくことだったろう。同志社出身者が同志社で行ったある意味ざっくばらんな講演だった。