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ある番組の制作者からいわゆる修行について、「修行における身体的・心理的効果を様々な角度から紹介したいと思っております。そこで、「滝行」「火渡り」「お経」「崖登り」など代表的な修行・・・どの様な効果が期待できるか」という質問を受けた。この課題は行と道という私の関心とも合うので、整理してみたい。行はこの制作者のあげているような難行・苦行のたぐいであるが、「道」(どう)とは何か。茶道、華道、香道、柔道、剣道などなど日本の文化、スポーツには道をつけるものが多い。その共通点は何か、と考えてみると「道」は道、みちに対応するように型があることだ。したがってまず初心者は型を身につけるステップがあり、この過程で自分の行為と見本の違いを観察する過程が入る。この観察という過程が重要だ。瞑想には観察瞑想と集中瞑想があるが、「道」には観察瞑想の過程がはいるのである。これによって自分を観察する能力が次第に育まれるわけだが、それによって自分というものが固定的なものでないことも気づく。こういった「道」は仏教を背景とする日本の文化が生み出したものだろう。一方「行」とは何か。「滝行」を含め、この制作者のあげている例はいわゆる難行・苦行を中心とするものであり、お釈迦様(ブッダ)も行ったわけだが、結局それによって悟ることはできないと気づいた。なぜか。これらの行は行為の最中に集中を要するというか、集中はするが、ブッダが抱えていた生きる苦しみに対する答えはでてこない。ただ集中することによって一次的に苦から離れることができるだけである。日常生活に戻ればまた苦悩を抱えている自分が居る。苦行はものによっては死につながるストレスを与えることがあるので、自律神経系やホルモンに働きかけることが想定される。そのことはある種快感になることもあり、いわゆるランナーズハイのような状態になる。これではいわゆる嗜癖(アディクション・中毒)である。例に挙げている「お経」は難行ではない。むしろ易行とされているものだろう。制作者は最初マントラをあげていたので、こういった唱える行為を続けるような状態を想定しているのかも知れない。たしかにこれを続けるのはある種の苦行かも知れないが、この行を分類してみると(理解できない)言葉を発し繰り替えす行為か、ある種の意味を持つ言葉を発する行為の場合が存在するだろう。たいていの場合一人で行うよりは大勢で行う場合が多い。この場合一定の短い言葉を繰り返すことによる呼吸の調整、大勢の人で一緒に行うことによるリズム形成、などは自律神経系に良い影響を与えることが予想される。意味のある言葉を繰り返す場合はある思考を植え込んでいく意味もあるだろう。したがってお経を除く行はストレス反応を介した身体・心理への影響、お経では呼吸や共同性を介した自律神経系への影響がありうるかも知れない。基本的にはその行をやっている間は集中するということができ、所謂悩みなどをその間忘れることができるかも知れない。ただそれだけでは「行」を行っている間にしか効果が認められないので、アディクションとなってしまう可能性を指摘する必要があろう。