評価:
末木 文美士 岩波書店 ¥ 1,231 (2018-08-18)
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臘八摂心の期間中は仏教書を読もうと考えて、まずは読みかけていた本書を読み終えた。
碧巌録は禅では多くの老師によって提唱される有名な公案集である。著者の末木氏は仏教学を専攻し、碧巌録の現代語訳などを行ってきたが、こんなある意味使い古された語録を改めて「読む」必要があるのか。その辺はどうもそう簡単な話ではないらしく、禅に関してはその確立期の唐代のものが良く研究されており、碧巌録のような宋代のものはそれほど研究が進んでいないという。もともと唐代のものは内容的にも理解しやすいものであったが、碧巌録になると理解困難な公案、いわゆる禅問答がでてくる。
趙州 ちなみに僧問う「如何なるか是れ祖師西來の意」。州云わく「庭前の柏樹子」
これと似たようなものに、
僧、洞山に问う、「如何なるか是れ佛?」 山云く:「麻三斤」。
後者については入矢義高先生が麻三斤は僧衣一着分という解釈を示したが、そういった意味解釈よりは「意味連関をすべて断ち切ったところで、ぽんと投げ出されたもの、それが麻三斤と末木氏はいう。碧巌録は雪竇重顕がまとめて注釈を入れた公案語録に圜悟克勤がコメントをいれたもので、圜悟は言語的なものをとことん解体していく。その過程で明らかになっていくものを重視するわけだ。そのあたりを末木氏は論理的に示しているので、なるほどと思わせるものがある。ただなるほどと思わせたところで、公案としても意義が出てくるわけではない。ここら辺が学問と実践としての禅の矛盾だろう。本書では補講として最後に「改めて碧巌録を読む」という章があり、著者の考えがまとめられているので、最初にこちらを読むのもいいだろう。
それにしても碧巌録の構造が雪竇、圜悟によって本来の公案にコメントが重層的に付けられているのであれば、近年の電子化の時代、雪竇、圜悟によって加えられていったものをコメントなどト書きとして読めるような電子化が理解を深めやすいのではないか。